学部の時に「ただ実験しました」ってデータだけ出した研究発表の経験があります、サイトーです。
学部生だったり、大学院に進学したばかりの大学院生だったりでも「そろそろ〇〇学会の時期だからみんな出てみようか」みたいな感じで、学会の時期が近付いたから発表しようという誘われ方をする時があります。
しかもそういう時に限って成果が無いので、「本当に成果無いけど大丈夫かな?」と心配になる気持ちは非常によくわかります。
今回は、そんな研究成果が特に無いのにも関わらず学会発表しても大丈夫なのかということについて解説していきたいと思います。
結論から言うと別に問題ないです。
なんだったら幹事の先生が「こういう実験しますって発表でも良いよ!」って言っちゃうような学会(または研究会)もあるくらいです。
では解説していきます。
「しょぼい」って決めるのはあなたじゃない
まず「しょぼい」ってどうやって決めているのでしょうか?
「研究内容を一言で簡潔に言えてしまうから」というのはしょぼいことを表す理由になりません。
なぜなら、すべての研究者は自分が何の研究をやっているかを一言で簡潔に言えてしまうからです。
スポーツでも同じことが言えますよね?
例えば野球だったら「球をバットで叩く」スポーツですし、テニスなら「球をラケットで叩く」スポーツだというように、一言で表そうと思えば何でも表せるのです。
でも野球がしょぼいスポーツかと言うと違いますし、テニスがしょぼいスポーツかと言うとこれも違うはずです。
つまり、一言で簡潔に表現できることと研究内容の評価軸は異なります。
むしろ、研究内容を一言で説明できるようになるためには深く研究内容を理解する必要がありますので、本来の評価からすればあなたは能力のある人と言えるでしょう。
また、研究の評価は本人ではなく他人が行います。
ですので、あなたが「しょぼい」かどうかを判断するのではなく、他人が「しょぼい」かどうかを判断します。
他の人から「しょぼい」と言われた時に初めて「自分の研究はしょぼい」と言えるのです。
逆に言えば、他人から評価を受けたことがないのであればしょぼい可能性は限りなくゼロに近いと言えるでしょう。
経験を積むことが目的
学会に出る目的を考えてみましょう。
先生の業績を増やすためでしょうか?税金で旅行に行くためでしょうか?
答えは「経験を積むため」です。
先生(+学生)の業績を増やすことが出来るのもメリットの一つではありますが、経験を積むことの方が重要度が高いです。
あなたは人前に出て自分の作り出した成果を発表するという経験だったら、もしかしたらあるかもしれません。
ただ、自分の作り出した成果に対して他のところから意見(しかも結構ゴリゴリに鋭い)が来て、自分の意見を戦わせるというような経験は中々無いのではないでしょうか。
理系の世界では一人の意見が何の穴もない完璧な意見であることはほぼあり得ません。
文系の世界の一部では「意見」に再現性が無いこともあるので、必ずしもすべての人が同じ考えになるとは限らないのですが、理系の世界では現実が全てなのでそのようなことは有りません。
そのため、理系の学者たちはあーでもないこーでもないと意見を言い合うプロセスを経て、最終的に「これなら誰も文句が付けられないよね」という意見を作り上げていきます。
これが論文という奴です。
しかし、大半の学生は意見を言われる経験があまり無いため、意見を言われると結構心にグサッと来ます。(これは意見を言う側の言い方がアレな面もあるので何とも言えないですが…)
ですので、自分の意見に対してディフェンスがしっかりと出来るようにするために学会に出る経験が重要になるのです。
つまり、学会の目的は一つの意見を持って戦わせる経験を積むことだから研究の内容やレベルはどうでもいいんだよってことです。
まとめ
今回は大した成果が無いと思っている学生が学会発表に出ることになった場合でも、安心して飛び込んで良いんだよという記事でした。
研究が本当にしょぼいって言っても、「バナナの皮は本当に滑るのか」を研究してイグノーベル賞もらってる先生も居るくらいですから、研究にしょぼいも何も無いんですね。
逆に新規性が無くて、既に誰かがやったことを手順も材料も変えずにやっているなら「しょぼい研究」なので研究テーマを変えるか、何か付け足して新しさを加えましょう。
大抵「研究がしょぼいなぁ…」って考えている学生は普通にしょぼくないので、胸を張って学会で発表してみましょう。
他の先生や先輩は暖かくボコボコにしてくれますよ!
コメント