今回は特に誰かの得になったり人生の糧になるような話ではありませんが、知人と話をしていてふと思ったことを書いていきます。
書きたいことは題名通りなのですが、せっかくなので自分の持論も一緒に書いてみようと思います。
こういう話題は得てして共感を得られる人のゾーンが狭いので不愉快になる人が多いかもしれませんが、ご了承ください。
ざっくり何があったか説明
先日、知人と居酒屋でお酒を飲んでいる際に教育の必要性についての話題になりました。
そこから話の流れで知人がこんな感じのことを言いました。
本当に頭のいい人は俺みたいなバカにでも分かるように説明できるからね?
自分の説明力が不足していたために上手く伝えられなかったのももどかしかったのですが、個人的には「本当に頭のいい人」という表現が気になりました。
その場で「本当に頭のいい人」について深く掘り下げることはしませんでしたが、自分なりに考えてみることにしました。
バカにとっての「本当に頭のいい人」とはどのような人なのか?
結論として、自称バカの言う「本当に頭のいい人」とはぶっちゃけ「自分にとって都合のいい人」でしかないのでは無いかと思います。
自分が知ったような気になれる程度のレベルで情報をくれる人は当人にとって「都合がいい」ですし「バカな私にも分かる説明」が出来ています。
つまり前提条件を満たせていることから、今回の事例における「本当に頭のいい人」の判断基準は自分にとって都合のいい人であるのではないかと推察します。
しかし、この「本当に頭のいい人」の判断基準は本当に頭がいい人を選ぶための基準になれるのでしょうか?
答えはノーでしょう。
頭の良さなんて所詮ものさしの問題
もしも、国語のテストで満点を取ったAさんという人は頭がいいでしょうか?
個人的には頭がいい人だなぁと感じると思います。
しかし、そのAさんが国語以外では0点しか取れない人だったらどうでしょうか?
個人的には、印象が「頭のいい人」から「国語が非常に得意な人」だとか「変わった人」という評価になると思います。
もしも、テストをしたときに全教科まんべんなく80点取ったBさんという人は頭がいいでしょうか?
個人的には頭がいい人だなぁと感じると思います。
しかし、AさんとBさんを「国語のテストだけ」で考えるとどうなるでしょうか?
Aさんのほうが「頭がいい」となるでしょう。
全科目の総得点ではBさんのほうが圧倒的に上ですが、ものさしを変えればAさんが「頭がいい」となるのです。
つまりは見るところによって頭の良さなんて変わるということです。
頭がいい人にはなれなくてもバカにならないことはできるはず
これまでの話から誰もが認めるような「頭のいい人」になることが不可能であることが分かったと思います。
しかし、バカにならないことは誰にでもできます。
頭の良さを測るのはものさしが色々あるので難しいですが、バカな人のイメージは大体の人が同じになるのではないでしょうか?
それなので、自分がイメージするバカな人の振る舞いを避ければ少なくともバカにならないことはできます。
「質問に質問を返さない」であったり「自分の無知を相手のせいにしない」といった基本を守ってバカにならないようにしましょう。
もし、自分がバカな振る舞いをしていたならば、すぐにバカを脱出しましょう!
まとめ
今回は単純に自分の考えをつらつらと書いただけですが、一部の人には共感してもらえるのではないでしょうか。
かすかな希望を持って公開します。
それでは。
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